和束から南山城横断林道、三国越林道、御斉峠まで3府県をぶらっとしてみました。
山科から国道1号線を大津へ。名神大津インター入口から名神沿いに南下(途切れてた個所がつながりグンと車が増えました)
国分、南郷、桜峠を越え瀬田川沿いを西へ、直ぐに新しく出来た道に出合い左折。新しいトンネルを3つ抜ければ曽束、ここか
らは以前に出来てた道、猿丸神社近くで県道に合流します。現在拡幅工事中。しかし滋賀県はどんどん道路が整備されて行く。
宇治田原で国道307号線に入り、郷之口の交差点を左折。犬打峠を越え和束へ入る。道の駅で弁当と泡立つお茶を買い、木屋
峠を目指し出発。峠の手前に南山城横断林道の入口が有り左折、いよいよ地道の始まりと言いたい所ですが、残念ながら?全
線舗装路です。
入って間もなくの茶畑です。
昔から、宇治田原から和束へかけて、お茶の生産が盛んにおこなわれ
たてきました。また、お茶漬け海苔で有名な永谷園の創始者も宇治田
原の出身で、創始者を祭った神社が湯屋谷に有ります。
木陰で昼食。
静かです。聞こえるのはセミの声と虫の羽音だけ。
小一時間いたんですが、通り過ぎた車は軽トラ一台でした。後で気付
いたんですが、もう少し走った所にもっと良い道端が有りました。
(どっちにしろ道端かい!チャンチャン)
おろしハンバーグと泡立つお茶の、美味しい昼食を済ませ出発。 童仙房を目指す。 童仙房は明治になって開墾された新しい土地。
それまでは持ち主の無い空白地帯だったそうです。空白地帯と聞くだけで、この土地の厳しさを感じます。道とて無いジャングル
状態の山を開墾するのは重労働で、一時過疎になりかけた事もあったらしい。のんびりとこの土地を走らせて貰える事を、苦労さ
れた先人に感謝。
童仙房の小学校前を直進し野殿へ。ここから三国越林道にアタック。いよいよ此処から地道が始まる・・・事も無く、全線舗装。
実はこの道は初めてです。案内看板の島ヶ原が何処なのかピンとこなく
て、とりあえず入ってみました。
しばらく走ると三国越展望台の看板があり、木の階段を10メートル余り
上ると立派な展望台が有りました。
ゲゲッ!三重県じゃん。オレは三重県の島ヶ原に向かっていたのかーっ!
ま、いっか。
真下が京都の月ヶ瀬で、三重の島ヶ原、上野市が一望出来ます。
写真では分かりませんが、かなりの範囲が見えます。中ほどの緑色の先
辺りに月ヶ瀬口駅が有り、右隣のグレーっぽい部分が月ヶ瀬ニュータウ
ンです。
林道は、この展望台の下を左側に下りていきます。
展望台からは緩やかな下り、道幅も広く走りやすい。っていうか誰も走ってないしね。のんびり気持ち良く下って行こう。しかし、
何処へ出るのか知らん。結構長い下りです。
ポツポツ人家が見え広い道路に出ました。ここは何処?私は誰? 京都に帰るには御斉峠を越え、多羅尾、信楽を目指さなければ
ならず、御斉峠はさらに東なのでとりあえず左折。少し行くと神社が有りました。高坂神社。地図を広げ確認。(私の地図は昭和
55年版。今日走った林道や新しい道は乗ってないのさ)ふむふむ間違いない。もう少し走ると御斉峠の案内看板があるはず。
道なりに進む。広い道とクロスしたが看板も無く、道なりに進む。JRの踏み切りを越え、えーっおかしいなぁと思ったが、道な
りに進む。近鉄の踏切を越えふっと右を見ると、あっれー上野城じゃん。
近鉄伊賀線 にい駅から見た上野城です。
来る気も無く来ちゃいました。
入口を捜しながら引き返します。看板は無かったが、見当を付けて右折。んー、いい感じ。分かれ道を直進。んー、やな感じ。住
宅街に突入、行き止まり。また分かれ道まで引き返し右折。んー、いい感じ。しばらく走ると広い道に出ました。これが拡幅され
た本道。後は峠までまっしぐらです。
峠はこの石碑より少し上に在ります。
本能寺の変。堺にいた徳川家康は枚方、宇治田原を経て伊勢へ逃れるの
ですが、その時に多羅尾光俊父子に警固され、この峠を越えたと伝えられ
てるそうです。
峠から多羅尾側に少し下がった所に、仕置き場の看板がありましたが、余
りにおどろおどろしい響きで、撮影しませんでした。
ここから多羅尾に下り、茶屋出から信楽、信楽の畑から富川町まで山越え、
鹿跳橋で瀬田川を渡り、後は朝通った道を山科までまっしぐら。が、大津
インター出口が大混雑。いつもは混まない所なんですが、なんでやー!ど
ーしてじゃー!
帰ってから気が付きました。今日は8月8日、びわこ花火大会だったのでし
た。本日の走行距離160km。
ぶらっとじゃ無かった?本気じゃん。
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