8月15日、やっぱり京都南部から滋賀南部をぶらっと150km
待ち合わせ場所手前でkawaさんのモンキーがパンク。 んー、出だし最悪。
我が家まで歩いて2分ほどの所だったので、戻ってのパンク修理。えっ!耳が落ちない。 んー、さらに最悪。
合わせホイールを割って二人がかりでレバーでこじるが、リムにタイヤが食いついてビクともしない。この時点で汗だく。最終手
段の潤滑剤を、シュッと2吹き3吹き。何とか外れ、細部を確認。サビサビじゃん。ホイール全周をペーパーでツルツルに。パン
クの方は、製造過程で付いたシワの部分にピンホールを発見。セメントぬりぬり、パッチ張り張り。ついでにシューもペーパーで
ひと皮むいて、各部をグリースアップ。そんなこんなで、1時間遅れで出っぱーつ!
宇治田原まではほぼ前回と同じコース。宇治田原のコンビニで弁当と泡立つお茶を買って、国道を信楽方面へ走る。雨。結構大粒。
小学校前のバス停で雨宿り&昼食。ホカホカのうなぎまぶし弁当と、冷えた泡立つお茶が旨い。
雨も上がり出発。国道を外れ湯屋谷へ入る。狭い谷あいに民家が並び、その最奥に、お茶漬け海苔で有名な永谷園の創始者の生家
と、創始者を奉る神社が在ります。
茶宗明神社
上から読んでも山本山、下から読んでも山本山でお馴染みの、山本山の碑
があったりして、全国のお茶関係のメーカーが勢揃い。
お茶関係の業界では、有名な神社だったのでした。
さて、裏道の農道を通り国道に戻ります。この国道307号線は、狭く曲がりくねった所が多かったんですが、滋賀県に近づいた辺り
で一変してました。裏白峠は裏白トンネルになり、広く真っ直ぐ快適です。信楽まで信号も無く、ノンストップ。中野?の信号を右
折。小川方面に入ります。今日の目的は、小川城跡見学と多羅尾の代官屋敷跡の見学、多羅尾からの林道を三国越林道まで走り、展
望台からの景色を楽しんでみようと思ってます。 小川城跡への入口には看板が有り、すぐに分かりました。 農道なのか林道なのか、
緩やかな上りをドンドン山の中へ、小さな峠にたどり着き、右の尾根への急坂を上ると また緩やかな上りになり舗装が途切れる。
地道とは言へどフラットで、モンキーkawaさんも何の苦も無く上がって来ます。間もなく東屋ふうの展望台が在り、到着です。
城跡から北を望む
城跡は夏草に覆われてはいましたが、周囲を囲む土塁と曲輪(くるわ)が
はっきり分かります。
曲輪の南側に、 物見台が置かれていたであろうと思われる最高地点が在り、
三等三角点が置かれていました。
見る人によりますが、 昔の農家としては小さく質素な造りだなと、感じ
ました。
しかし、草生したわらぶき屋根に手入れされた建物は、どこかの重要文化
財に負けぬ、良い雰囲気だと思いませんか。
小川城は、信楽一帯の盟主として勢力を誇った多羅尾氏の居城ですが、文禄4年、豊臣秀次事件に連座し改易され、廃城となりまし
た。しかし、その5年後の慶長5年に、多羅尾氏は徳川家康から千5百石を与えられ、旗本として代々天領代官を明治まで世襲したそ
うです。それもこれも、本能寺の変が起こり、三河に帰りたい徳川家康を宇治田原まで迎えに行き、御斉峠を越えて伊勢まで警護し
た功績のお陰ですね。その、多羅尾氏の代官屋敷跡を目指して山を下ります。
県道まで戻り左折、道なりに南下し小峠を越えると多羅尾の茶屋出、そこを右折してさらに南下、童仙房への分かれを過ぎ、少し行
くと在りました。
代官屋敷跡
個人の所有地で、残念ながら立ち入り禁止です。奥には立派な石垣が見えます。町は整備をして何らかの施設を造りたいようです
が、持ち主が拒否してるそうです。入れないのは残念ですが、私も持ち主に賛成です。このまま残して下さい。草刈が大変でしょ
うが。
この代官屋敷前の道をそのまま進むと、新しく出来た林道になり峠を越え少し下ると三国越林道に合流します。
展望台まで走り、後は前回の逆コースで帰ります。野殿〜童仙房〜和束〜犬打峠〜宇治田原〜曽束〜炭山〜日野〜バーミヤンって
感じでゴールイン。パチパチパチ。
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